酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5988 浅利鶴雄墓(台東区・谷中霊園)

浅利 鶴雄(あさり つるお、1899年10月29日 - 1980年4月15日)は、東京都出身の演劇プロデューサー、俳優である。

家族
劇団四季代表の浅利慶太の父。二代目市川左團次の甥(母の妹の夫)。親戚に旧:東京田辺製薬元会長の田辺元三郎がいる。

来歴
明治中学を経て、大正12年(1923年)慶応義塾大学経済学部卒業。 大正13年(1924年)、小山内薫、友田恭助、和田精、汐見洋、土方与志とともに新劇の専門劇場である築地小劇場を創立。後に松竹に移り、俳優として「三田英児」の名でサイレント映画に出演。松竹では社長秘書などの他、プロデューサーを務め、2代目左団次が行った歌舞伎界初のソ連公演には秘書として参加。また、戦前・戦後を通し一時代を築いた浅草国際劇場の初代支配人に就任し、こけら落としではチャップリンを招聘。松竹歌劇団の育ての親のひとりとも言われた。

参考
『日本映画俳優全集(男優編)』(1979年 キネマ旬報社)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/322.html

309 浅利家墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3500.html
3252 千田是也(伊藤圀夫)墓(豊島区駒込5丁目・染井霊園)