酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5986 大野恒徳墓(谷中7-14-8・天王寺)

大野恒徳 ( おおの - つねのり )
弘化 3年 5月 27日 ~ 明治 36年 5月 28日 ( 1846 - 1903 )


陸軍医・種痘医。


本名、本橋縫之助。大野松斎の養子。正七位。


常陸国稲敷郡根本村 ( 栃木県 ) 出身。江戸で大野松斎に師事し、種痘を学ぶ。


大学東校に入り、得業生となる。


兵部省に出仕、明治 6年 ( 1873 ) 軍医補、兵部省軍医。


明治 10年 ( 1877 ) 西南の役に本病院第1課員。内務省御用掛兼仮座御用掛。


明治 15年 ( 1882 ) 軍医、一時北支那占領地守備隊。のち退役陸軍一等軍医となる。


皇太子皇女に種痘を施術。


満州安東県守備隊にて功を認められ正七位勲五等瑞宝章を叙せられる。


著:「人乃命学の階梯」。訳:「製薬鑑法」。58歳没。