酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5979 三崎亀之助墓(谷中7-14-8・天王寺)

三崎 亀之助(みさき かめのすけ、1858年2月15日(安政5年1月2日) - 1906年(明治39年)3月16日)は、日本の政治家、官僚、銀行家。衆議院議員、貴族院議員、横浜正金銀行副頭取。


略歴
1858年(安政5年1月2日)2月15日、讃岐国丸亀に生まれる。東京大学法科を卒業し、忠愛社に入り、『明治日報』記者となる。1884年(明治17年)に外務省御用掛となり、外務省書記官として米国公使館駐在、さらに公使館書記官としてワシントン駐在、次いで外務省参事官を務める。


その後、京都で『中外電報』で論説を執筆、弁護士業などを経て、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙で香川県から出馬し、衆議院議員に当選する(以後4回連続当選)。立憲自由党に属したが、第1議会では土佐派の裏切りに同調して第1次山県内閣と妥協、予算案の成立に努めた後、同党を脱党する。また、法典調査会主査委員を務める。その後、復党し、1896年(明治29年)4月に板垣退助が第2次伊藤内閣の内務大臣に就任すると、内務省県治局長となり、同年12月には貴族院議員に勅選される。1899年(明治32年)に横浜正金銀行に入り、支配人を経て、1900年(明治33年)から1906年(明治39年)まで副頭取を務めた。


著書
・『国際公法』(英吉利法律学校、1888)
・『戦時国際公法』(東京法学院、1896)
・『局外中立法』(東京法学院、1897)
・『国際公法総論』(東京法学院、1897)
・『平時国際公法』(東京法学院、1899)


参考
・『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、『朝日日本歴史人物事典』
・『20世紀日本人名事典』、『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』
・『当代の実業家人物の解剖』
(wikiより)