酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5975 五世・浜村蔵六墓(谷中7-14-8・天王寺)

五世 浜村 蔵六(ごせい はまむら ぞうろく、男性、慶応2年(1866年) – 明治42年11月25日(1909年))は、明治期の日本の篆刻家である。


名は裕、字は有孚、蔵六を号し、別号に無咎道人・彫虫窟主人。通称立平。陸奥国弘前出身。


略伝
三谷大足の次男として生まれ、東奥義塾で洋学を修めた。23歳のとき上京。金子蓑香に篆刻を学び、その後四世浜村蔵六の門下となる。四世蔵六に継嗣がいなかった為請われてその養子となり、明治27年(1894年)5月浜村蔵六を嗣ぎ、永らく向島に住む。各地を遊歴後、二度にわたって清国を訪問。康有為ら政治家と親交した。また呉昌碩や徐三庚と交わり、その奥義を伝えられる。このため浜村家に代々伝えられた印法が変容したとされるが、四世蔵六のとき代々伝えられた印籍類が火災で焼失したことが原因とも考えられる。初世蔵六以来の最大の印人と称された。石印以外にも陶印や金印の制作も巧みであった。印面・鈕形・色彩のすべてに優雅な味わいがあり人気を博した。犬養毅・幸田露伴などの名流がその印を用いた。門下に石井雙石がいる。


チフスに罹患し病没。享年45。谷中天王寺に墓がある。


著作
・『蔵六居印藪』
・『蔵六居士結金石縁』
・『旅窓鐵戯』
・『蔵六銅磁印譜』
・『彫虫窟印藪』
・『蔵六金印』


出典
・中井敬所『日本印人伝』(収録『日本の篆刻』中田勇次郎 、二玄社、1966年)


関連項目
・日本の篆刻家一覧
・印譜
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6932.html

5974 四世・浜村蔵六墓(谷中7-14-8・天王寺)


 五世・浜村蔵六