酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5974 四世・浜村蔵六墓(谷中7-14-8・天王寺)

四世 浜村 蔵六(よんせ はまむら ぞうろく、男性、文政9年(1826年) – 明治28年2月24日(1895年))は、明治期の日本の篆刻家である。


正本氏、後に塩見氏を名乗る。名は観侯、字は大澥、蔵六を号し、別号に薇山・雨村。通称参蔵。備前岡山(岡山県瀬戸内市)の人。


略伝
20代の中頃に江戸に出て、万延元年(1860年)には断絶していた浜村家を継いだ。行政官記録係になるが讒言を受けて退職し、宇都宮で教育者となる。廃藩置県後、東京に戻り須崎村に住む。明治15年(1882年)の「日本書画價額表」によれば、この頃既に篆刻家として知られていた。

明治18年(1885年)、依田学海らと白鴎社を結ぶ。明治20年(1887年)、「墨堤植桜之碑」の碑文を書しているが、後にこの碑は墨田区登録文化財に認定された。

明治27年(1894年)4月15日、火災に遭い家屋を焼失。浜村家に代々伝えられた法帖・金石・印譜などの貴重な書籍もすべて失ってしまう。榎本武揚の厚意により近所に仮住まいする。

明治28年(1895年)2月に没する。享年71。谷中天王寺に墓所がある。

著作
・『晩悔堂印識』
・『蔵六居印略』

出典
・中井敬所『日本印人伝』(収録『日本の篆刻』中田勇次郎 、二玄社、1966年)

関連項目
・日本の篆刻家一覧
・印譜
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/271.html

267 榎本武揚の像(墨田区堤通二丁目・梅若公園内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1008.html
928 墨提植桜の碑(墨田区向島5-1)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6933.html

5975 五世・浜村蔵六墓(谷中7-14-8・天王寺)