酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5968 新田忠純墓(谷中7-14-8・天王寺)

新田 忠純(にった ただずみ、安政3年11月18日[1](1856年12月15日) - 昭和6年(1931年)1月21日)は、明治時代の華族、貴族院議員。


新田俊純の次男で、幼名は岩松誠丸。父の俊純は交代寄合旗本で、新田氏の傍流で岩松氏を称していたが、南朝の忠臣の子孫のため、男爵を賜る。夫人は毛利元忠五女の磯子。


大阪陸軍幼年学舎で学んだのちにパリに留学した。明治15年に外務省公信局御用掛となり、明治27年(1894年)、父が没したため家督を継ぎ、同じく男爵に叙爵する。明治30年に貴族院議員となる。昭和6年に76歳で没した。


兄弟は武子(井上馨室)、義誉ほか。子に新田義美(新田神社宮司)、俊子(今村繁三室)、てい(桂与一室)、幸子(四女、松平慶民室)、義郎(北畠克通養子)、義之(岩松純行養子)。


注釈
1. 日本人名大辞典では安政3年10月生
(wikiより)


戒名 : 「隆徳院殿仁岳寿昌大居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6922.html

5969 新田義美墓(谷中7-14-8・天王寺)