酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5966 河田貫堂墓(谷中7-14-8・天王寺)

河田貫堂 ( かわだ - かんどう ) / 河田 熙 ( かわだ - ひろむ )
天保 6年 ~ 明治 33年 3月 11日 ( 1835 - 1900 )


幕吏・儒者・遣英仏使節。


名、熙。字、伯緝。通称、貫之助。父、河田興 ( 迪斎 )( 長男 )。母、佐藤一斎 ( 儒学者、幕府の儒員で林家の塾長 ) の娘。


安政 6年 ( 1859 ) 家督を相続。


文久 2年 ( 1862 ) 10月外国奉行支配組頭となる。


文久 3年 ( 1863 ) 目付 ( 旗本、御家人取締役 ) となり、横浜港鎖港談判のための遣英仏使節・池田長発 ( 正使 )・河津祐邦 ( 副使 ) 両外国奉行の監察としてフランスの軍艦に搭乗してフランスに渡るが、逆に開港を痛感し、帰国後開港を提言したが免職となる。


のち許され陸軍奉行、慶応 3年 ( 1867 ) 開成所頭取。


明治元年 ( 1868 ) 目付、明治 4年 ( 1871 ) 大目付 ( 諸大名取締役 )。


徳川 16代当主・徳川家達が駿河に封ぜられると、これに従って移り、やがて静岡藩少参事となり学政に努める。


廃藩後、家達公の家扶をつとめ東京に帰る。


明治 10年 ( 1877 ) 家達公の洋行に従いイギリスに渡り、明治 15年 ( 1882 ) 帰国。


以後、徳川家子女教育係となる。66歳没。


戒名 : 「文粛院寛堂伯緝居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6916.html

5962 河田 烈墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6916.html

5963 河田 党墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6920.html
5967 河田省所墓(谷中7-14-8・天王寺)