酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5964 歌沢寅右衛門墓(墨田区吾妻橋2-2-10・妙縁寺)

● 歌沢寅右衛門 ( うた沢 )
歌沢 寅右衛門 ( うたさわ とらえもん ) は、うた沢節のうた沢寅派の名跡。


初代と 2代目は「歌沢虎右衛門」と漢字表記しそれ以降は女性が名乗ったため「歌沢寅右衛門」と表記した。


初代 ( 文化 10年 ( 1813年 ) - 明治 8年 ( 1875年 10月 2日 )) 本名は平田虎右衛門。あだ名を「平虎」。


江戸橘町に住む畳職人で端唄を親しんでいた。歌沢笹丸と共に行動するようになり、安政 4年 ( 1857年 ) に歌沢相模と改名。


文久 2年 ( 1862年 ) に家元の笹丸の顕彰碑を向島木母寺に建て笹丸の後継者という意味合いを込めて「2世・歌沢虎右衛門」と碑面に無断で刻んだ事で一門の結束力が薄れるようになり哥沢芝金等と袂を分かち合い一門を離れる。


晩年病に倒れ虎右衛門の名を譲っている。


● うた沢
うた沢 ( うたざわ ) は、端唄から派生した江戸後期の短い歌謡。


概略
創始は歌沢笹丸 ( うたざわ ささまる、? - 1856年〈 本名:笹本彦太郎 〉)。


本所割下水に住む旗本の隠居で、畳屋の寅・ご家人の柴田金・仕事師の茂兵衛・火消しの音・稲荷の滝・魚屋の定などの同好者を集めて好きな端唄を聞かせていた。


しかし端唄は聞かせどころがなく余りにあっさりとしていたところから工夫を加え、「歌沢節」と名づけ、自身は「歌沢笹丸」と名乗った。


のちに官に乞うて歌沢大和大掾を受領する。


笹丸歿後の翌年、畳屋の寅が歌沢寅右衛門と名乗り、歌沢初代の家元となる。


その 4年後にご家人の柴田金が哥沢の初代家元となり、芝金と名乗った。( これはご家人であった畳屋出身の家元の傘下に入るのを潔しとしなかったためと言われている )。


いずれにせよ、発生は嘉永年間以後とされ、歌沢 ( 寅派 )・哥沢 ( 芝派・哥沢芝金 ) を名乗る両派が生まれたので、共通の「うた沢」と表記されるようになり、今日に至っている。


音楽的特徴
端唄との違いはサラリとうたう端唄に対してこってりとうたう点にあり、それによって楽曲に渋みが加味される。


節回しもより細かく、前奏がある。その結果、曲の長さも倍近くある。


代表的な曲
・梅にも春
・夕暮
・淀の川瀬
・淀の車
・和歌の浦
・蝶は菜種
・宇治茶
・苗売
・薄墨
・書き送る
・秋の夜
・萩桔梗
・露は尾花
・香に迷う
・我がもの


関連項目
・小唄
・端唄
・俗曲
・上方歌
・近世邦楽
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3285.html

3062 歌沢二世虎右衛門句碑(墨田区向島2-5-17・三囲神社)