酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5960 菊池海荘墓(谷中7-14-8・天王寺)

菊池海荘 ( きくち - かいそう ) / 垣内海荘
寛政 11年 ~ 明治 14年 1月 16日 ( 1799 - 1881 )


江戸の豪商で詩人。


名、保定。字、子圃。号、渓琴 ( 谿琴 )。通称、孫助・孫左衛門。別名、垣内海荘。


父、豪農・垣内孫左衛門淡斎。


紀伊栖原 ( 和歌山県有田郡湯浅町 ) 出身。


兄が仏門に入ったので家業の砂糖・薬問屋を江戸で営む。


文学を好み、江戸へ出て大久保天民に詩学を学ぶ。


故郷に古碧吟社を創設。


天保飢饉時に私財を投じ、坂の改善・港の修復など失業対策事業で窮民を救済する。


海防・殖産にも尽力。


大坂の飢饉では、大塩平八郎と救済策を建議したが要れられず有田の故郷に帰る。


明治 2年 ( 1869 ) 有田・日高 2郡の文武総裁となり、農兵を組織。


慶応年間に大原重徳を頼り国政意見を上陳。


有田郡民生局副知事。


郷学所を創り養蚕・製茶に貢献する。


辞職後東京に移る。


渡辺崋山 ( 1793 - 1841 )、佐久間象山 ( 1811 - 1864 )、大塩平八郎 ( 1793 - 1837 ) らと親交を結び、国内、世界の情勢に通じていた。83歳没。


著書:「国政論」、「内政論」、「農政私議」、「渓琴山房集」、「海荘集」など。養子に菊池菊崖がいる。


その第 2子で漢学者・詩人の菊池三九郎 ( 1859 - 1923 ) の墓は、多摩霊園 2区 1種 4側 16番にある。


墓碑には、三条実美の篆刻がある。