酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5937 市橋長富墓(西日暮里3-8-3・南泉寺)

市橋 長富(いちはし ながとみ、文化2年2月22日(1805年3月22日) - 安政6年11月20日(1859年12月13日))は、近江仁正寺藩の第9代藩主。仁正寺藩市橋家10代。


出羽庄内藩主・酒井忠徳の四男。正室は八戸藩主・南部信真の娘。二男四女あり。官位は従五位下主殿頭。


文政5年(1822年)2月22日、先代藩主の長発の死去により、末期養子として家督を相続した。


同年9月1日、将軍・徳川家斉に拝謁する。


同年12月16日従五位下主殿守に叙任する。


砲術家の高島四郎太夫から砲術を学んだ。


天保15年(1844年)10月7日、隠居し、養子長和に家督を譲った。


安政6年(1859年)11月20日、55歳で死去した。法号は性善院円山道覚大居士。墓所は東京都荒川区西日暮里の南泉寺。
(wikiより)


正面「性善院殿前殿中監円山道覚大居士」。「性善院殿円山道覚大居士」