酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5934 日尾荊山碑(西日暮里3-7-12・修性院)

日尾荊山 ( ひお - けいざん )
寛政元年 6月 15日 ~ 安政 6年 8月 12日 ( 1789 - 1859 )


漢学者。


本姓、魚澄氏。名、政寛・璞・瑜。字は得衆・葆光・徳光。通称、多門・宗右衛門。号、恭斎・荊山・至誠堂・善司・直麿・呉竹堂主人等。


父、医家日尾林庵。日尾 ( 埼玉県小鹿野町大字日尾 ) 出身。


3歳で父母を相次いで亡くし、加藤重矩に養われる。


手習師匠・加藤見龍に師事し、15歳で太田部村の手習師匠となった。


江戸で儒学者・亀田鵬斎 ( 1752 - 1826 ) に師事し儒学を学び、清水浜臣 ( 1776 - 1824 ) に国学を学ぶ。


実践は至誠に通じるとして神田に「至誠堂」を開設。


日尾点と称する独特な漢文の読み方・解釈を考案し、多くの門人を育てた。71歳。


継室に日尾邦子、子に日尾直子がいる。71歳没。


著書:口出糞病の話で知られる「燕居雑話」、世諺問答考證など数多い。他に「管仲非仁者弁」、「四書折衷弁断」など。


なぜ石碑が、修性院にあるのかは不明。


碑文彫刻師は、広群鶴。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/294.html

281 亀田鵬斎墓(台東区今戸・称福寺)