酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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5932 大橋佐平墓(西日暮里3-3-22・養福寺)

大橋 佐平(おおはし さへい、天保6年12月22日(1836年2月8日) - 1901年11月3日)は、明治時代の実業家で、博文館創業者。


妻の弟は東京堂創業者の高橋新一郎。三男(長男と次男は早逝)は博文館第2代館主の大橋新太郎、四男は東京堂第2代主人の大橋省吾。長女の婿は博文館支配人で小説家の大橋乙羽、三女の婿は共同印刷創業者の大橋光吉[1][2]。


経歴
・天保6年12月22日[3](1836年2月8日) - 越後国古志郡長岡城下(現新潟県長岡市)で生まれる。幼名熊吉。家業の材木商を手伝う


・嘉永2年(1849年) - 長岡の飛脚西川屋に従い上京。智積院にいた叔父(母の実弟)法如を訪ね、畿内の寺社を巡拝し、長崎まで旅行し、伊勢から江戸へ出、上州を経て帰郷
安政3年(1856年) - 長岡裏一ノ町に酒店を開き三国屋佐平と称し、藩の御用達となる


・万延元年(1860年) - 魚沼郡関の上村新左衛門の長女松子と結婚


・元治元年(1864年) - 母の死去にともない、叔父法如(乙宝寺二十世住職鑁順)の真言宗で葬られたいという遺志により、空き戸籍を継ぎ、大橋姓を名乗る


・明治元年(1868年) - 北越戦争、佐平は恭順派に属し、官軍との折衝にあたる。


・明治2年(1869年) - 越後府御用掛を命じられ、民政所軍事方兼学事方となる。


・明治4年(1871年) - 小学校新設に尽力。長岡郵便局長となる。


・1880年 - 同志とはかって「北越新聞」を創刊


・1886年 - 上京し、本郷弓町の家を購入し、博文館の看板を掲げ「日本大家論集」を創刊


・1888年 - 「日本之殖産」「日本之法律」「日本之時事」「日本之兵事」「日本之警察」などの雑誌を創刊


・1890年 - 「日本文学全書」を発刊


・1891年 - 「温知叢書」「日本文庫」等を発刊


・1892年 - 博文館本社を日本橋区本町三丁目へ移す


・1893年 - 「帝国文庫」を発刊。3月より11月までシカゴの世界大博覧会を見学し、欧州を巡歴して帰国


・1894年 - 内外通信社を創設。通信事業に進出


・1895年 - 「太陽」「少年世界」「文芸倶楽部」の博文館三大雑誌を創刊。事業を子息新太郎に一任して引退。小石川戸崎町の別邸に移る


・1897年 - 洋紙販売と印刷業の博進社を創立


・1898年 - 東京奠都三十年祭を主唱して奔走


・1900年 - 麹町区上六番町(現千代田区三番町)の川上操六旧邸を購入して転居。邸内に大橋図書館を着工


・1901年 - 胃癌のため11月3日、麹町区上六番町(現三番町22番地)の自邸で死去。法名:如実院殿唯心一阿居士。西日暮里養福寺に埋葬。


人物
越後長岡の商家に生まれ、幼時より行動力と賢明さをそなえて期待された。また母の薫陶を受けて、仏教の信仰に厚く、僧にすることも親族の間で話し合われたという。


15歳のとき、真言宗の僧籍にある叔父を頼って上京し、九州から江戸を回る大旅行を経験して見聞を広め、長岡藩御用達の家業を守りつつ、幕末激動の時代を過ごした。


北越戦争によって、旧幕時代の体制が崩壊した長岡にあって、早くから新政府の役職を拝命し、学校や交通事業を立ち上げ、長岡の復興につくした。また水運や新聞などの流通・情報事業に将来性を見出し、「北越新聞」や「越佐毎日新聞」を創刊し、出版事業にも進出した。


1886年、上京した佐平は、大衆向けの教養雑誌として「日本大家論集」を発刊した。引き続きさまざまな分野の教養ダイジェスト雑誌を廉価で発刊し、これが多数の読者に受け入れられた。続いて一般向けの教養図書を、さまざまなシリーズ形式で廉価で販売したことにより、博文館の出版事業は急速に拡大した。


博文館の出版事業は、子息大橋新太郎によって継承され、近代的な企業集団として成長し、印刷から販売にいたる出版コンツェルンを形成した。


主な刊行雑誌
・「日本之少年」(1889年)
・「江戸会誌」(1889年)
・「太陽」(1895年)
・「少年世界」(1895年)
・「文芸倶楽部」(1895年)


主な出版物・シリーズ物
・『日本文学全書』・『日本歌学全書』(1890年)
・『温知叢書』・『日本文庫』・『日本歴史読本』・『少年文学』(1891年)
・『帝国文庫』(1893年)


関連文献
・坪谷善四郎『大橋佐平翁伝』 博文館(1932年、1974年に増補改訂版が栗田出版会から刊行)
・坪谷善四郎『大橋新太郎伝』 博文館新社(1985年、1937年成稿)
・坪谷善四郎『大橋図書館四十年史』 博文館(1942年)
・稲川明雄『龍(りょう)の如く~出版王 大橋佐平の生涯』 博文館新社(2005年)


脚注
1. 田中治男 『ものがたり・東京堂史――明治・大正・昭和にわたる出版流通の歩み』 東販商事、1975年12月25日、39頁。
2. 日外アソシエーツ編 『出版文化人物事典――江戸から近現代・出版人1600人』 日外アソシエーツ、2013年6月25日、81-84頁。
3. 坪谷善四郎 『大橋佐平翁伝』 栗田出版会、1974年10月15日、15頁。


関連項目
・大橋新太郎
・大橋乙羽
(wikiより)


戒名 : 「如実院唯心一阿居士」


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6878.html

5931 大橋乙羽墓(西日暮里3-3-22・養福寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6880.html
5933 大橋松子墓(西日暮里3-3-22・養福寺)


 大橋佐平