酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5905 浅利義信墓(新宿区原町2-30・常楽寺)

浅利 義信 ( あさり - よしのぶ )
( 1778年 ( 安永 7年 ) - 1853年 3月 29日 ( 嘉永 6年 2月 20日 ) ) は、日本の剣客。中西派一刀流。通称、又七郎。


下総国松戸の生まれで、江戸の中西派一刀流第 3代の中西子啓に学ぶ。


同門に寺田宗有、白井亨、高柳又四郎がいた。


突きを得意とし、若狭国小浜藩江戸屋敷の剣術指南を勤めた。


義信の姪で養女のかつと結婚した千葉周作が道場を継いだが、組太刀の改変をめぐって義信と周作は衝突を起こしてついに物別れとなり、周作夫妻は義信から独立して北辰一刀流を興すこととなる。


主を失った浅利道場を守るため、義信は新たに中西家から義明を養子に迎えた。


義明は、後に山岡鉄舟に一刀流無想剣の極意を伝授した。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/120.html
117 山岡鉄舟墓(台東区谷中・全生庵)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/166.html
162 千葉周作墓(豊島区巣鴨5-35-6・本妙寺)