酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6879 秋元礼朝墓(台東区谷中・谷中霊園)

秋元 礼朝(あきもと ひろとも)は、江戸時代末期(幕末)の大名。


上野館林藩の第2代(最後)の藩主。館林藩秋元家11代。


生涯
嘉永元年(1848年)5月16日、遠江掛川藩の第5代藩主・太田資始の五男として生まれる。


安政6年(1859年)に館林藩主・秋元志朝の養子となり、元治元年(1864年)10月に養父が禁門の変により幕府から隠居させられたため、家督を継ぐ。


慶応2年(1866年)に奏者番に任じられた。


慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、飛び地領の河内から新政府軍に対して兵を派遣し、軍資金2万両を出して協力した。その功により明治2年(1869年)に賞典禄1万石を加増された。


明治2年(1869年)、版籍奉還により館林藩知事に任命されたが、明治4年(1871年)7月に廃藩置県で免官。


同年9月に隠居し、養子の興朝に家督を譲る。


明治16年(1883年)6月13日に死去。享年36。


大正4年(1915年)、正四位を追贈された。
(wikiより)


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6795.html

6880 秋元興朝墓(台東区谷中・谷中霊園)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6796.html
6881 秋元春朝墓(台東区谷中・谷中霊園)


 秋元礼朝