酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5843 土方雄豊墓(台東区谷中・谷中霊園)

土方 雄豊(ひじかた かつとよ、寛永15年11月19日(1638年12月24日) - 宝永2年7月1日(1705年8月19日))は、伊勢菰野藩の第3代藩主。


土方氏久(初代菰野藩主・土方雄氏の次男)の三男。母は松本藩主・水野忠清の娘。子は豊高(長男)、久長(次男)。通称は清十郎、主殿助、杢助。官位は従五位下・備中守、市正。


京都に生まれる。


慶安3年(1650年)5月11日、伯父にあたる第2代藩主・雄高の娘と結婚してその養子に入った。慶安4年(1651年)9月に雄高が死去したため、翌承応元年(1652年)2月8日に15歳で家督を相続した。寛文元年(1661年)12月13日、将軍・徳川家綱に初御目見し、28日に従五位下・備中守に叙任された。寛文2年(1662年)4月に初めて菰野に入った。


寛文3年(1663年)12月には江戸で火消し大名として活躍し、将軍・家綱からも表彰された。延宝7年(1679年)、官職を市正に改めた。延宝8年(1680年)に志摩鳥羽藩主・内藤忠勝が刃傷事件のために改易に処された際には、雄豊が鳥羽城受け取り役に命じられ、志摩国鳥羽へ赴いた。


天和3年(1683年)に院使饗応役を命じられているが、このとき播磨赤穂藩主・浅野長矩が相方の勅使饗応役を勤めていた。指南役は吉良義央であった。この時に浅野と土方は親しくなったようで、長矩の養子長広(長矩の実弟)は、雄豊の養女(長男・豊高の娘)と縁組することになる。


宝永2年(1705年)7月31日に死去した。享年68。菰野の見性寺に葬られた。法名は通霄院殿玄峯孤順大居士。家督は長男・豊高が父に先立って死んでいたため、孫(豊高の長男)の豊義が継いだ。
(wikiより)


正室は、元禄 13年 ( 1700 ) 6月 23日歿、戒名 : 「真寂院殿天栄如頓尼大姉」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6765.html

5839 土方雄永墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6768.html

5840 土方雄久墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6769.html

5841 土方雄高墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6770.html

5842 土方雄氏墓(台東区谷中・谷中霊園)


 土方雄豊