酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5842 土方雄氏墓(台東区谷中・谷中霊園)

土方 雄氏(ひじかた かつうじ、天正11年(1583年)- 寛永15年6月28日(1638年8月8日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。伊勢菰野藩の初代藩主。


生涯
文禄3年(1594年)、豊臣秀吉に仕えて伊勢国内に3,000石を与えられ、豊臣秀頼の近臣となった。慶長元年(1596年)には1万石の大名として諸侯に列した。しかし慶長4年(1599年)、秀吉没後の覇権を狙う徳川家康とその軍師・本多正信が策した幻の家康暗殺事件に父が容疑者にされると、長男の雄氏も連座で罪に問われて父と共に常陸国の佐竹義宣預かりの身とされた。


慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い直前に家康から罪を許されて、その後は徳川氏の家臣となる。同年、近江国内に2,000石を加増され、1万2,000石の大名となり、菰野藩を立藩した。慶長19年(1614年)からの大坂の役では徳川方に与し、先陣として武功を挙げた。寛永12年(1635年)3月に隠居して、長男の雄高に家督を譲った。寛永15年(1638年)6月28日、56歳で死去した。


父・雄久も雄氏とは別に越中布市藩(のち下総田子藩)を立藩していたが、雄氏が庶子だったため父の所領は弟で嫡子の土方雄重が継いだ。


法号は堅翁宗固見性院。墓所は京都の功運院。


脚注
1. 『寛政重修諸家譜』より。
(wikiより)


戒名 : 「見性院殿堅翁宗固大居士」。


八重姫は、延宝 7年 ( 1679 ) 5月 24日歿、92歳、「王雄院殿寂巖順光大禅定尼」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6765.html

5839 土方雄永墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6768.html

5840 土方雄久墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6769.html

5841 土方雄高墓(台東区谷中・谷中霊園)


 土方雄氏