酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5841 土方雄高墓(台東区谷中・谷中霊園)

土方 雄高(ひじかた かつたか)は、伊勢国菰野藩の第2代藩主。


初代藩主土方雄氏の長男。初名は雄春。通称は勝五郎、杢助。


江戸で生まれたが、幼い頃に菰野へ送られ、そこで育てられた。寛永9年(1632年)に将軍徳川家光に初御目見する。寛永12年(1635年)3月に父の隠居により家督を相続する。


馬場や焔硝倉などを設置したり、家臣団の住居を定めたり、また商工業者を集めるなどして菰野陣屋やその城下の設備をすすめ、菰野藩諸法の制定も積極的に行った。


また領内に見性寺を建立して、以後ここを土方家の菩提寺とした。さまざまな面で菰野藩政の基礎を築いたといえる。


幕府の仕事としては院使や朝鮮通信使の饗応役をしばしば勤めている。


慶安4年(1651年)9月8日に死去した。享年40。家督は弟氏久の三男・雄豊が継いだ。
(wikiより)


戒名 : 「不見院殿形道宗無大居士」。


鶴姫は、慶安 2年 ( 1649 ) 10月 23日歿、「智宝院殿大相妙色大禅定尼」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6765.html

5839 土方雄永墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6768.html

5840 土方雄久墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6770.html
5842 土方雄氏墓(台東区谷中・谷中霊園)