酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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5821 山崎直胤墓(台東区谷中・谷中霊園)

山崎 直胤(やまさき[1] / やまざき[2] なおたね、1852年〈嘉永5年5月[3]〉 - 1918年〈大正7年〉2月4日[4][5])は、明治期の官僚。内務省初代県治局長、山梨県知事(官選第6代)、三重県知事(官選第4代)、宮内省調度局長、錦鶏間祗候。旧名・賢吾[3]。


経歴
豊前国下毛郡諫早村(現大分県中津市三光諫早)出身[2]。山崎直高の長男として生まれる[6]。明治3年6月(1870年)、新政府に出仕し民部省十四等出仕となる。新設の工部省に移り、明治4年9月(1871年)、造船中師に任官[3]。


明治5年2月(1872年)、産業技術調査のためフランスへ出張。ウィーン万国博覧会事務官も務めた[1]。1875年1月に帰国。1877年1月、太政官少書記官となり、さらに同大書記官を務める[2]。1882年2月、各国憲法の視察を行う伊藤博文一行に加わり欧州へ出張し、1883年8月に帰国した[1][2]。


1885年6月、初代の内務省県治局長に就任[7]。1887年3月、山梨県知事に転任。予算編成に当たっては県民の負担軽減に配慮を行う[2]。1888年6月、三重県知事に転任。前年度と同規模の予算編成を行う[6]。1889年12月、知事を非職(休職)となる[8]。


1890年2月、宮内省に転じ、宮内書記官兼調査課長、兼山階宮別当に就任[9]。以後、調度局長などを務め、1897年9月に退官し錦鶏間祗候となる。


年譜
・太政官大書記官 任官
・1887年(明治20年)3月8日 - 山梨県知事 任官
・山梨県知事 免官
・1888年(明治21年)6月29日 - 三重県知事 任官
・1889年(明治22年)12月26日 - 三重県知事 非職
・宮内書記官 任官
・山階宮別当 兼任
・1891年(明治24年)2月7日 - 帝室会計審査官(奏任官一等) 兼任[10]
 ・10月31日 - 内事課長股野琢不在中代理[11]
・調度局長 任官
・1893年(明治26年)
 ・1月9日 - 内匠頭堤正誼不在中代理[12]
 ・5月6日 - 内匠頭堤正誼不在中代理[13]
・1895年(明治28年)1月9日 - 内匠頭堤正誼不在中代理[14]
・帝室会計審査官調査課長 兼任
・1897年(明治30年)
 ・2月1日 - 内事課長股野琢不在中代理[15]
 ・4月26日 - 内事課長股野琢不在中代理[16]
 ・5月29日 - 内匠頭堤正誼不在中代理[17]
 ・9月16日 - 錦鶏間祗候 仰付、調度局長 兼 帝室会計審査官調査課長 依願免官[18]


栄典
・1883年(明治16年)8月30日 - ロシア神聖アンナ第二等勲章[19]
・1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[20]
・1890年(明治23年)2月20日 - 従四位[21]
・1895年(明治28年)3月2日 - 正四位[22]
・1897年(明治30年)9月16日 - 従三位[18]
・1918年(大正7年)2月4日 - 勲二等瑞宝章[23]


親族
・父 山崎直高
・子 山崎直三 文学者


著作
著書
・『通俗経済小話』 1897年
・『比国憲法釈義』 1886年 内務省総務局


訳著
・『近代欧洲史観 2』 セーニョボス・シャルル(著)
・『仏国道路記事』 墺国博覧会事務局
・『澳国水陸通路記事鉄道説』 澳国博覧会事務局(編) 績文社
・『仏国民法註釈 第1冊』 谷森真男(校) 1875年 博聞社
・『佛國 民法註釈 第四冊 財産篇 第二篇 財産』 1877年
・『租税説』 ア・チェル(著) 1877年 坂上半七
・『欧洲現代政治史』 山崎直三(共訳) 1911年 大日本文明協会


編訳
・『仏国政法掲要』 1878年 博聞社
・『佛國 政法掲要』(第一巻~第三巻) 1878年 博聞社


脚注
1. a b c 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、702頁。
2. a b c d e 『新編日本の歴代知事』492頁。
3. a b c 「山崎直胤叙勲ノ件」
4. 『官報』第1652号、大正7年2月6日。
5. 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、702頁では「2月2日」。
6. a b 『新編日本の歴代知事』605頁。
7. 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』92頁。
8. 『官報』第1951号、明治22年12月27日。
9. 『官報』第1987号、明治23年2月17日。
10. 『官報』第2281号「叙任及辞令」1891年2月9日。
11. 『官報』第2504号「叙任及辞令」1891年11月2日。
12. 『官報』第2858号「叙任及辞令」1893年1月11日。
13. 『官報』第2954号「叙任及辞令」1893年5月8日。
14. 『官報』第3457号「叙任及辞令」1895年1月10日。
15. 『官報』第4075号「叙任及辞令」1897年2月3日。
16. 『官報』第4142号「叙任及辞令」1897年4月27日。
17. 『官報』第4171号「叙任及辞令」1897年5月31日。
18. a b 『官報』第4265号「叙任及辞令」1897年9月17日。
19. 『官報』第54号「叙任及辞令」1883年9月1日。
20. 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
21. 『官報』第1993号「叙任及辞令」1890年2月24日。
22. 『官報』第3500号「叙任及辞令」1895年3月4日。
23. 『官報』第1652号「叙任及辞令」1918年2月6日。


参考文献
・歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
・秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
・富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。
・内閣「山崎直胤叙勲ノ件」大正7年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・勲00523100
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6744.html

5820 山崎直三墓(台東区谷中・谷中霊園)


 山崎直胤