酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5817 重宗芳水墓(台東区谷中・谷中霊園)

重宗芳水 ( しげむね - ほうすい )
明治 6年 7月 11日 ~ 大正 6年 12月 30日 ( 1873 - 1917 )


明電舎の創業者。


父、吉川藩の裁縫を家業とする貧しい江木清高 ( 次男 ? )。岩国錦見鉄砲小路出身。


幼くして父を亡くし母の生家・重宗信之の養子となる。


明治 20年 ( 1887 ) 14歳の時、同郷の三吉正経を頼って上京し、「三吉電気」に入社した。


工場で働くかたわら、東京工手学校の機械科で学び、明治 24年 ( 1891 ) 卒業。


明治 27年 ( 1894 ) 工場の電灯電力機械部主任となるも、明治 30年 ( 1897 ) 三吉電気が倒産。


芳水は 11人の仲間と、わずか 500円の資金で築地に明電舎を立ち上げた。


創業当時は仕事もなく大変苦労したが、交流、直流それぞれの発電機、誘導電動機などの新しい製品を作り、会社が発展した。


日露戦争において日本を勝利に導いたのが実は、原東禎造と開発した明電舎の作った発火機だったという。


日露戦争特需で明電舎は大きく飛躍した。


工場も船橋町から明治町に拡張移転し、従業員も増えた。


さらに、大正 2年 ( 1913 ) には、工場を品川区の大崎町に移し、敷地二万平方メートル、従業員 500人の会社となった。芳水の没後は、妻のたけ子が社長になり、事業の発展に尽くした。44歳没。



関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6738.html

5816 重宗雄三墓(台東区谷中・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6740.html
5818 重宗たけ墓(台東区谷中・谷中霊園)