酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5812 石川七財墓(台東区谷中・谷中霊園)

石川七財 ( いしかわ - しちざい )
文政 11年 4月 8日 ~ 明治 15年 7月 30日 ( 1828 - 1882 )


三菱財閥創始期の一人。武士出身。


父、御両口役・石川唯七。


明治に入り高知では、岩崎弥太郎の活躍を快く思わない勢力があり、横目付の石川は、弥太郎を監視するために大阪に派遣せれる。


弥太郎と接触するうちに、弥太郎が日本の現状や海運・貿易の重要性について説き、この話に共鳴してしまい、やがて、後に日銀総裁となる川田小一朗と共に、三菱財閥の創始者・岩崎彌太郎を支えた一人となる。


明治 10年 ( 1877 ) の西南戦争で三菱は政府軍の兵站輸送を請け負うが、石川七財は、この総指揮をとる。55歳没。


 性格は粘着質で、藩邸の門限を破った者をしつこく糾弾したため、逆切れされて切りつけられ、額に傷を負い、トレードマークとなった。