酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5809 初代・川崎八右衛門墓(台東区谷中・谷中霊園)

川崎 八右衛門(かわさき はちえもん、1834年(天保5年)12月 - 1907年(明治40年)1月13日)は東京川崎財閥の前身である川崎組、川崎銀行の創始者である。男爵、従五位。


経歴
天保5年(1834年)12月、現在の茨城県東茨城郡茨城町海老沢(涸沼西海岸)に生まれる。初名を縫殿助(ぬいのすけ)、諱は守安。川崎家は水戸藩第二藩主光圀の時代にとりたてられ、代々三十石の家禄を受けるこの地方の名門であった。


嘉永2年(1849年)数え年16歳で、家業の回漕問屋を継ぎ、初代八右衛門を襲名。


翌年、現在の水戸市成沢町の私塾「日新塾」(加倉井砂山開設)に入門し、砂山の次女である香蘭と結婚。


幕末には財政逼迫に苦しむ水戸藩の鋳銭事業に着手、家業である廻船事業をはじめ明治後は北海道開拓に従事、鉱山経営、川崎銀行設立と事業を拡大し、後の川崎金融財閥の基礎を作った。


川崎金融財閥の2代目総帥・2代目川崎八右衛門は三男、3代目総帥の川崎守之助は孫(2代目八右衛門の長男)。2代目八右衛門の妻・幸子は郷純造の娘。


「系譜」については、「初代・川崎八右衛門ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%85%AB%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
(wikiより)