酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5804 納屋美算墓(台東区谷中・谷中霊園)

納屋美算 ( なや - びさん )
弘化 4年 2月 24日 ~ 昭和 8年 6月 10日 ( 1847 - 1933 )


正岡子規の最晩年の写真を撮影した人。別名、納屋才兵衛。美濃大垣出身。


飯沼家に生まれ、桑名で「納屋才」を屋号にし魚介類を扱っていた中島家の養子となり、明治中期に納屋姓に改姓。


家業の傍ら写真を始め、祖父・飯沼慾斎 ( 美算の養父・中島孫左衛門の実父で祖母の兄 ) の甥・小島柳蛙のもとで写真術を修業。


桑名で初めての写真館「笛橋堂」を開く。


写真は飯沼長蔵 ( 美算の実兄 ) の影響に拠るものと思われる。


上京して根岸に写真館「春光堂」を経営。一家をなす。87歳。


 古書に「根岸の先生 ( 平田篤胤 ) は一本橋の北、2 ~ 3丁先田圃の中に住せり」とあり、この一本橋は、写真館「春光堂」前にあった。


また、一本橋の下を流れる川は、音無川と思われる。


なお、平田篤胤は本居宣長らの後を引き継いだ国学者で、やがてその思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となる。


 小島柳蛙 ( こじま - りゅうあ ):文政 3年 ( 1820 ) に小島当三郎と蘭学者・飯沼慾斎 ( いいぬま よくさい ) の妹・登喜 ( とき ) の子として美濃国に生れ、飯沼慾斎に化学を学ぶ。


万延元年 ( 1860 ) 先に江戸に遊学に出た兄を頼って上京、外国人から写真術を伝授され、文久 3年 ( 1863 ) に名古屋で尾張藩の儒学者・細野要斎を撮影。


明治 4年 ( 1871 ) に郷里の伊奈波 ( いなば ) 神社口に写場を開設。