酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5803 酒井忠利墓(台東区谷中・谷中霊園)

酒井 忠利(さかい ただとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。駿河田中藩初代藩主。武蔵川越藩初代藩主。老中。

生涯
酒井正親の三男。徳川家康の再従弟にあたる。兄・重忠と共に家康に仕え、小牧・長久手の戦いでは大いに戦功を立てた。天正18年(1590年)に家康が関東に移封されると、武蔵国川越に3,000石の所領を与えられた。


慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠軍に属して信濃国上田城に立て籠もる西軍方の真田昌幸を攻めたが、成す術も無く大敗を喫した。

戦後、家康より7000石を加増され、合計1万石の大名として駿河田中藩に移された。


慶長14年(1609年)、さらに1万石を加増され、合計2万石の大名として川越に戻された。


慶長19年(1614年)からの大坂の陣では江戸城の留守居役を務めた。その後もしばしば加増され、最終的には3万7000石を領する大名となった。

寛永4年(1627年)11月14日死去。享年69。
(wikiより)