酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5794 村田氏寿墓(台東区谷中・谷中霊園)

村田 氏寿(むらた うじひさ、文政4年2月24日(1821年3月27日) - 明治32年(1899年)5月8日)は、幕末の武士(越前福井藩士)、明治時代の政治家、官僚。


字は子慎。号は文峰。通称は巳三郎。


経歴
450石取りの藩士として松平慶永に仕えた。


橋本左内とは親友であり、共に幕末の政情不安の中で国事について語り合うことが多かった。


1853年、ペリーが来航すると武者修行と称して江戸に向かい、情勢を探った。1856年には慶永の命令で熊本藩の横井小楠招聘に赴いている。1858年、将軍継嗣問題が起こると、左内と共に一橋派に与して徳川慶喜擁立のために京都で交渉に尽力した。


その後は禁門の変、戊辰戦争などに参加し、慶永の補佐に務めた。維新後は岐阜県令や内務大丞兼警保を務めた。1899年、79歳で死去。


著作
・佐々木千尋との共著『続再夢紀事』


参考文献
・上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/109.html

106 橋本佐内墓・烈士遺憤の碑(小塚原回向院・南千住)


 村田氏寿