酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5792 三代目・大薩摩文太夫墓(常在寺・谷中5-2-15)

大薩摩文太夫 (おおさつま - ぶんだゆう )
? ~ 天保 13年 5月 24日 ( ? - 1842 )


大薩摩 三代目の太夫。


文政天保時代の名人。はじめ富士田勘右衛門と名乗る。


当時の江戸三座といわれた市村座・中村座・森田座の人気を大薩摩で独占したといわれる。


三代目・文太夫の名声が高過ぎ、三代目没後は後継者がなく、大薩摩は廃絶してしまった。


墓地は、常在寺墓地。山門の左側。墓碑は 2基あるが、一方は、表面が落ち判読不明。


しかし、もう一方の墓碑には宝暦 9年の記載がなく主膳太夫の墓は、判読不明の方と想像するのみ。


崩れていない一方の墓碑は、俗名は無いが没年から推して 三代目・大薩摩文太夫の墓 ( 合祀 ) と思われる。


正面「恩玄院道咸日量信士/思量院妙咸日信女/清心院道喜信士/歓喜院妙道信女」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2203.html
2013 二代目・大薩摩文大夫墓(茨城県水戸市見川2-103-1・妙雲寺)