酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5781 津山宗伯墓(谷中5-8-5・加納院)

津山宗伯 ( つやま - そうはく )
宝暦 4年 ~ 天保 10年 3月 14日 ( 1754 - 1839 ) ・・・宝暦 5年説あり )


江戸後期の医家・福山藩医。


名、厚伯のち義篤。字、宗伯。上総市原郡会津村出身。


天明のころ鍼灸をもって福山侯に仕える。


幕府の医官・山崎宗運に師事し、”宗”の一文字を贈られ宗伯と改める。


寛政 11年 ( 1799 ) 10石取り侍医となる ( のち 20石になる )。


藩医・伊澤榛軒 ( しんけん ) は第 6代福山藩主・阿部正寧 ( まさやす:1809 - 1870 ) に従い福山に往くこととなり、雨富良碩 ( あまとみ りやうせき )・津山宗伯が同行した。86歳没。


戒名 : 「積善院惠岳義篤居士」。