酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5772 尾台榕堂墓(谷中5-8-28・観音寺)

尾台榕堂 ( おだい ようどう ) / 尾台士超
寛政 11年 ~ 明治 3年 11月 29日 ( 1799 - 1870 )


漢方医・詩人・軍・徳川家茂の侍医。


父、医師・小杉三貞 ( 4男 )。名、元逸。号、士超・榕堂また敲雲。通称、尾台良作。魚沼郡 ( 新潟十日町 ) 中条出身。


文化 11年 ( 1814 ) 16歳で江戸に出て尾台浅嶽に師事し医学を修める。


文政 7年 ( 1824 ) 母は老い兄が病となり故郷の中条に戻り兄の医業を助けた。


天保 5年 ( 1834 ) 江戸の大火で浅嶽が死に、尾台家再興のため江戸に出て北槇町に開業する。


身分の差別なく診療し評判となり、師浅嶽夫人の望みで家督を継ぎ尾台良作と称した。


のち、文久元年 ( 1861 ) 14代将軍・徳川家茂の侍医となる。


慶応 3年 ( 1867 ) 家督を師浅嶽の実子・良卿 ( 武雄 ) に返し、巣鴨へ移住。著書:「類聚方広義」など 20部 48巻の著書がある。