酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5768 浅野喜三郎墓(興禅寺・谷中5-2-11)

浅野喜三郎 ( あさの - きさぶろう )
? ~ 明治 29年 1月 6日 ( ? - 1896 )


明治期の建築家。


日比谷の諸官庁集中計画にあたり、明治 19年 ( 1886 ) に来日したドイツ人建築家のベックマンの進言により、内閣臨時建築局 ( 総裁は井上馨 ) は、ドイツの建築技術を学ばせるために技師と職工 21名を留学させることとした。


浅野セメントの創始者である浅野総一郎の支援によりその一員として参加。


明治 19年 ( 1886 ) 11月 16日に出発。


明治 20年 ( 1887 ) 1月ドイツに着き、エンデ ベックマン建築事務所や工場などに勤務し、技術の習得に務める。


明治 22年 ( 1889 ) 帰国。帰国してからは、坂内冬蔵と共にセメントの製造技術の指導にあたる。


 当時の毎日新聞特別広告に「生等今十六日午前八時十五分新橋発ノ汽車ニテ独逸国へ発程仕候勿卒之際御暇乞ノ礼ヲ欠ク此段遠近唇知ノ諸君二謝告ス 十九年十一月十六日 妻木頼黄 渡辺 譲 河合浩蔵」と掲載された。


 留学メンバー: 妻木頼黄・渡辺譲・河合浩蔵、浅野セメントから浅野喜三郎・坂内冬蔵、深谷煉瓦から大高庄衛門、美術家内藤陽三、建具職清水米吉、政府派遣の職工 8名 ( 志村今次郎・佐々木林蔵・鎗田作造・S専助・吉沢銀次郎・市川亀吉・篠崎源治郎・村上治郎吉 ) 等総勢 21名。


戒名 : 「応喜院釈明了居士」。