酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5767 高津山芳信墓(興禅寺・谷中5-2-11)

高津山芳信(こうづさん よしのぶ、1919年2月22日 - 1963年5月28日)は、奈良県高市郡高取町出身の大相撲の力士である。本名は喜多芳信。朝日山部屋所属。最高位は西関脇。現役時代の体格は身長178cm、体重128kg。得意手は左四つ、寄り、小手投げ、下手投げ。引退後は朝日山部屋を経営し、後進の指導に尽くした。


来歴
1935年に朝日山部屋に入門、同年5月場所で初土俵を踏む。順調に昇進して、1940年5月場所に新十両となったが、その後幕下との往復が続いた。しかしその間に実力をつけ、1943年5月場所、新入幕を果たした。腰の重さを生かした寄りや投げを得意として、幕内中堅で活躍していたが、1947年11月場所、前の場所で東前頭5枚目で6勝4敗にもかかわらず、一気に関脇に抜擢された。その後も安定して上位で活躍したが、怪我にさいなまれて、最後は4場所連続して休場、1953年5月場所限りで土俵を去った。上がってくる栃錦に強く、初顔から5連勝している。


引退後は年寄北陣から、師匠の死によって朝日山を継ぎ、小樽出身の高鐵山を十両に育て、これからというところで、急逝してしまった。44歳だった。


関連項目
・関脇一覧

脚注
1. 右肩関節打撲及び捻挫により12日目から途中休場
2. 神経痛・左足首関節捻挫により8日目から途中休場


「主な成績」については、「高津山芳信ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E8%8A%B3%E4%BF%A1
(wikiより)


 高津山 ( 朝日山 ) の没後は、二瀬山が引き取り、合併した朝日山部屋として出発。


戒名 : 「朝陽院韶光芳信居士」。