酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5766 葛野九郎兵衛定之墓(常在寺・谷中5-2-15)

葛野九郎兵衛定之 ( かどの - くろべいさだゆき )
天正 16年 ~ 明暦 3年 1月 15日 ( 1588 - 1657 )


江戸初期の葛野流太鼓の祖。


名、定之。幼名、小十郎のち勝九郎。


祖父・信濃守は本願寺の侍だったが、石山合戦で豊臣秀吉と戦い討ち死に。


父、久兵衛は病死。祖母の手で育てられる。


ややこ踊りの舞手祖母が太鼓 ( おおつづみ ) を勧め 13歳のとき、観能の宴で太閤秀吉に才能を認められ、16歳で豊臣秀頼付きの役者として召し出される。


当時の名人大倉流 4世・大蔵平蔵正氏 ( 右衛門 ) に師事することとなり、さらに技を磨く。


師没後、西川等因に就いてさらに研鑽。


のち、徳川頼宣に仕え、元和元年 ( 1615 ) ともに紀州に下り、厚遇を受ける。


福島正則の推挙で徳川家康に仕える。


紀州徳川家の要望で身分は紀州侯の家臣として家康に兼仕となる。


一代で葛野家の興隆の礎を築いた。常在寺の開基との資料もある。


戒名 : 「雷音院調真日楽居士」。


● 葛野流
葛野流(かどの - りゅう)は能楽大鼓方の一流儀。


解説
流祖葛野九郎兵衛定之 ( 日楽 ) は大鼓方大倉流四世大蔵平蔵正氏に学び、豊臣秀頼・徳川家康らの贔屓によって一家を成した。


一時紀州藩徳川頼宣に仕えたが、後に徳川秀忠の命によって幕府御用となり、江戸時代には観世流の座付きとして活躍した。


維新後、九世・定睦の子春雄が家業を継がなかったために宗家は絶えたものの、石井一斎、清水然知とともに大鼓方の三名人と言われた津村又喜及びその高弟川崎九淵が流儀の芸事を預かって伝統を守った。


九淵の後にも吉見嘉樹、亀井俊雄、瀬尾乃武、亀井忠雄などの名手が輩出し、大鼓方のなかでも流勢の盛んな流儀である。現在は亀井忠雄が宗家預りとなっている。


流儀の地盤は東京と金沢で、能楽協会には 20名弱の役者が登録されている。譜が複雑で、替えの手が多く、装飾的な傾向がつよい。


参考文献
・『能楽全書』(東京創元社)
・『能・狂言事典』(平凡社)
(wikiより)