酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5745 畑 一岳墓(谷中4-3-5・領玄寺)

畑 一岳 / 畑 一嶽 ( はた - いちがく )
嘉永 2年 12月 ~ 明治 43年 11月 18日 ( 1849 - 1910 )


名典獄と評された小菅監獄典獄。


父、正五位勲四等会津藩士・赤羽源吾信晴 ( 二男 )。妻、ユリ。


岩城国北会津郡内小田垣二番町に生まれる。旧藩士族。


長じて北海道に渡り、在道 25年という長期間主に警察・監獄畑にあり、開拓草創の苦労を重ねる。


明治 7年 ( 1874 ) 北海道開拓使等外三等出仕。


明治 13年 ( 1880 ) 札幌監獄本署長 ( 初代札幌刑務所長に該当 )。


明治 19年 ( 1886 ) 1月札幌県廃しのため北海道警部・監獄署長。


明治 20年 ( 1887 ) 北海道庁典獄。同 9月北海道庁警部。


明治 24年 ( 1891 ) 浦河・沙流・新冠・静内・三石・様似・幌泉郡長。


明治 31年 ( 1898 ) 宮城集治監典獄。


明治 40年 ( 1907 ) 小菅監獄典獄。


明治 43年 ( 1910 ) の小菅の大水害に際し、陣頭指揮をしたのが災いし、現職のまま病没し、”水典獄”と呼ばれ惜しまれた。


明治 43年 ( 1910 ) 6月正五位勲四等に叙される。葬儀は、現足立区町屋葬祭場で執り行われたが、数百人の会葬者が集まり、名典獄にふさわしい死に花を咲かせた。62歳没。( 出典:名典獄評伝 )


 典獄: 旧制の監獄の長。


戒名 : 「功徳院釈一乗高嶽居士」。