酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5737 白根多助墓(台東区・谷中霊園)

白根 多助(しらね たすけ、1819年6月27日(文政2年5月6日)- 1882年(明治15年)3月15日[1])は、幕末の長州藩士、明治期の内務官僚。埼玉県令。旧姓・太田、諱・翼、通称・多助、変名・大田翼、号・梅園[1]。


経歴
周防国吉敷郡吉敷村佐畑(現山口県山口市)で、長州藩士・太田直猷の七男として生まれ、白根兼清の養子となる。藩では美禰郡宰として出仕し、さらに大坂藩邸で勤務した。


文久3年(1863年)3月、中山忠光らの長州移送に尽力した。文久4年(1864年)正月、帰藩後に所帯方役に就任し会計を担当。以後、会計庶務方、美禰部署管事(代官)、山口藩会計大属などを歴任し、藩財政の維持に尽力した[1][2]。


明治政府に出仕し、明治4年(1871年)11月、埼玉県権参事に就任。同参事を経て、1873年12月、同権令となり、1875年12月、同県令に昇進した。地方税制の軽減に務め、時には政府と対立することもあった。その他、教育、産業の育成に尽力し、当時から名県令と謳われた。在任中に病により死去[1][3]。


親族
・長男 白根竹助(政治家)[要出典]
・二男 白根専一(政治家)
・三男 河野忠三(内務官僚)


脚注
1. a b c d 『明治維新人名辞典』516-517頁。
2. 『幕末維新大人名事典』上巻、668頁。
3. 『新編日本の歴代知事』306頁。


参考文献
・歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
・秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
・日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
・安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。
・上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6643.html

5738 白根竹介墓(台東区・谷中霊園)


 白根多助