酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5730 大谷 靖墓(台東区・谷中霊園)

大谷 靖(おおや やすし、弘化元年9月14日[1](1844年10月25日) - 昭和5年(1930年)3月6日[2])は、日本の内務官僚。貴族院勅選議員。錦鶏間祗候[2]。


経歴
岩国藩士の家に生まれる[1]。1871年(明治4年)、福岡県に出仕。福岡県権典事、大蔵権少丞、太政官少書記官、大蔵少書記官、大蔵権大書記官、内務権大書記官、内務省会計局長、同庶務局長、社寺局長心得、内務書記官・造神宮副使などを歴任した[3]。


退官後は済生会理事長を務めた[3]。1915年(大正4年)10月13日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[4]。


1919年(大正8年)に貴族院議員に選出され[5]、死去するまで在任した[6]。


親族
・大谷正男 - 三男[1]。宮内次官。貴族院議員。


出典
1. a b c 人事興信録 1911.
2. a b 『官報』第957号、昭和5年3月11日。
3. a b 貴族院・参議院議員名鑑 1960.
4. 『官報』第961号、大正4年10月14日。
5. 『官報』第1944号、大正8年1月28日。
6. 『官報』第956号、昭和5年3月10日。


参考文献
・人事興信所編 『人事興信録 第3版』 人事興信所、1911年。
・衆議院・参議院編 『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』 大蔵省印刷局、1960年。
(wikiより)