酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5721 松原新之助墓(台東区・谷中霊園)

松原新之助 ( まつばら - しんのすけ )
嘉永 6年 ~ 大正 5年 2月 14日 ( 1853 - 1916 )


水産講習所所長。号、瑜州。


父、松原友益 ( 長男 )。島根県松江出身。


明治 4年 ( 1871 ) 東京医学校 ( 東京大学医学部 ) に入学。


明治 6年 ( 1873 ) F.M.ヒルゲンドルフの動物学の講義の通訳を務めながら動物学を学ぶ。


明治 12年 ( 1879 ) 内務省御用掛となりドイツに渡り、法律調査のため、ベルリン滞在中の村田保 ( のちの第 2代水産伝習所長 ) と会い、日本の水産業発展のため努力することを誓い合った有名な話がある。


最後に明治 14年 ( 1881 ) ベルリン水産博覧会を視察。帰国して水産学に転じる。農務局事務取扱・東京大学助教授・駒場農学校教授。


明治 15年 ( 1882 ) 大日本水産会創立に参画し監事。


明治 16年 ( 1883 ) 第 1回水産博覧会審査部長。


明治18年(1885)水産練習所講師。


農商務省が明治 21年から 3年かけて行った全国的な水産の予備調査に参画。


松原新之助は農商務省技師として第 1巻から第 3巻 ( 部分 ) の報告書を担当し、 沖縄のジュゴンについても報告している。


明治 22年 ( 1889 ) 水産伝習所創立・教師。


明治 24年 ( 1891 ) 新潟県の河川を調査し、魚種の減耗策として、密漁の禁止・育てやすい欧米の良種 を移入し、人工孵化を進めることなどを進言している。


また、阿賀川 ( 阿賀野川 ) において、鉱山廃水が魚類に悪影響を与えていることも既に指摘した。


明治 30年 ( 1897 ) 水産局幹事。


明治 36年 ( 1903 ) 水産講習所と改称し、初代所長となる。


明治 44年 ( 1911 ) 農商務技師 ( 勅任官 ) となり、退職。


宮内省御用掛となる。従四位勲三等。64歳没。