酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

63 菅谷半之丞政利墓

菅谷 政利(すがや まさとし、万治3年(1660年) - 元禄16年2月4日1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士赤穂浪士四十七士の一人。通称は半之丞(はんのじょう)。


生涯
万治3年(1660年)、赤穂藩浅野家譜代家臣・菅谷平兵衛の次男として生まれる。母は津田五郎左衛門の娘。兄に岡本松之助がいたが、この兄は菅谷家の家督を継がず備後国三次で浪人したため、政利が菅谷家の嫡男となった。


政利は家老の大石良重に山鹿流兵学を学び、免許皆伝を受けていたといわれる。元禄6年(1693年)に父・平兵衛が死去したため家督もこのあたりと思われる。赤穂藩では馬廻り役また郡代として仕えた(100石)。元禄7年(1694年)に主君・浅野長矩備中松山城受け取りのために出陣した際には政利は赤穂留守部隊に編入されていた。


禄14年(1701年)3月14日、主君・浅野長矩吉良義央に殿中刃傷に及び、赤穂藩が改易されると、備中国足守や備後国三次へ赴いたとみられる(おそらく兄を頼ったのであろうと思われる)。また伏見に住んでいた時期もあったといわれる。元禄15年(1702年)10月7日に大石良雄にお供して江戸へ下向した。江戸到着後は大石良金の借家石町小山屋へ入るが、一時は谷中長福寺の近松行重の弟のところへも身を寄せていた。


吉良邸討ち入りの際には裏門隊に属した。本懐後は松平定直の屋敷にお預かりとなり、同家家臣加藤斧右衛門の介錯で切腹した。享年43。主君・浅野長矩と同じ江戸の高輪泉岳寺に葬られた。法名は刃水流剣信士。


関連項目
大石神社
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/15.html
12 大石良雄外十六人忠烈の跡(港区高輪1・高輪1丁目アパート)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/28.html
25 赤穂浪士ゆかりの寺(台東区谷中5-8・観音寺)


 

 菅谷半之丞政利









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