酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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5705 由布武三郎墓(台東区・谷中霊園)

由布 武三郎(ゆふ たけさぶろう、文久2年2月24日[1](1862年3月24日) - 大正15年(1926年)2月22日[2])は、日本の判事・弁護士。錦鶏間祗候[2]。


経歴
福岡県出身。


1881年(明治14年)、東京大学法学部を卒業。始審裁判所判事、上等裁判所判事、重罪裁判所裁判官、控訴院評定官、地方裁判所所長を歴任した。その後、文部省に転じ、参事官、視学官、高等商業学校(現在の一橋大学)校長などを務めた。


1897年(明治30年)、行政裁判所評定官に任じられ、1910年(明治43年)に退官した。退官後は弁護士を開業した。


1918年(大正7年)12月16日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[3]。


脚注
1. 人事興信録 1911.
2. a b 『官報』第4050号、大正15年2月26日。
3. 『官報』第1912号、大正7年12月17日。


参考文献
・人事興信所編 『人事興信録 第3版』 人事興信所、1911年。


外部リンク
・谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー 由布武三郎
(wikiより)


 由布武三郎