酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5697 二神確斎墓(台東区・谷中霊園)

二神確斎 ( ふたかみ - かくさい ) / 二神種満 ( ふたかみ - たねみつ )
文化 5年閏 4月 17日 ~ 明治 11年 10月 27日 ( 1808 - 1878 )


藤原道隆 ( 藤原氏北家隆家流 ) の後裔。名、種満。号、確斎。伊予国風早郷出身。


伊予松山侯に仕える。


明治 5年 ( 1872 ) 東京桜田本郷 ( 西新橋 ) に移る。71歳没。


 武家家伝によると、二神氏は、瀬戸内海の二神島に拠った海の国人で、その祖は、延久年間 ( 1069頃 ) 長門大掾に任ぜられて長門国に下向した藤原輔長といわれている。


輔長は任期を終えたのちも京には帰らず、長門国豊田・大津両郡を開拓し、豊田郷の領主となり豊田氏を称した。


南北朝期 ( 1336 - 1392 ) になり、種世と種家の間で家督争いがあり、敗れた種家は伊予に流れて、二神島に土着して二神氏を名乗る。


戦国時代になり、いくつもの合戦で武名を上げたが、天正 13年 ( 1585 ) 豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景が、河野氏追討のために伊予に侵攻、家臣・二神通範 ( 種家から 7代目 ) も敗退。


のち通範は朝鮮の役でも活躍した。


子孫は本島二神氏、風早二神氏に分かれて存続した。 詳細については、「二神のホームページ」参照。


⇧⇩ 奥様のお墓です。