酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5689 釈 宗演墓(鎌倉市山ノ内1367・東慶寺)

釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。出家前は一瀬常次郎。字は洪嶽、楞迦窟、不可往。号は洪嶽。


日本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師として、よく知られている。


生涯
・12歳の時、京都妙心寺の越渓守謙のもとで得度し、建仁寺や岡山県の曹源寺[要曖昧さ回避]で修行する。


・1878年、鎌倉円覚寺の今北洪川に参じて印可を得る。禅道修行のかたわら慶應義塾で福澤諭吉に英語、洋学を学ぶ。


・1887年、慶應義塾別科を卒業し、29歳の時に福澤諭吉や山岡鉄舟のすすめもあり、セイロン島とインド、中国等アジア各国に留学。帰国後、神奈川県久良岐郡にある宝林寺の住持となる。


・1892年、34歳で円覚寺派管長に就任。


・1893年、福澤諭吉のバックアップにより渡米、シカゴで開催された万国宗教大会に参加した後、各国を巡遊し、インド経由で帰国した。


・1902年、円覚寺において最初のアメリカ人に対する禅指導を行なった。


・1903年、建長寺派の管長を兼務する。


・1904年、日露戦争が勃発し、従軍布教師となる。


・1905年、管長職を辞職し、鎌倉の東慶寺住職となる。


・1906年、再度渡米し、通訳として鈴木大拙を、侍者として千崎如幻を伴い、アメリカ人に対して禅指導を行なった。


・1914年、臨済宗大学の学長に就任。


・1916年、円覚寺派管長に再任される。徳富蘇峰主宰の碧巌会の講師をつとめ、政・財界、夏目漱石居士ら知識人への講義・指導を通じて多くの信奉者をもった。


・1919年 肺炎のため遷化[1]、61歳。


著書
・『釈宗演全集』10巻(1929年–1930年)
・菜根譚講話(1926年)
・「西遊日記」(1941年)


伝記
・「釈宗演伝-禅とZENを伝えた明治の高僧-」(2000年)
・音読でこころにしみる菜根譚―釈宗演『菜根譚講話』 イーストプレス 2010年 齋藤孝 ISBN 4781604323


脚注
1. 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)14頁


関連項目
・人間禅
外部リンク
・釈宗演 | 北鎌倉 松岡山 東慶寺
・郷土の生んだ明治の高僧 釈 宗演


参考文献
・丸山信編『人物書誌大系 30 福沢諭吉門下』日外アソシエーツ、1995年3月、ISBN 4816912843
(wikiより)


 釈 宗演