酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5679 用堂尼墓(第五世 後醍醐天皇皇女)(鎌倉市山ノ内1367・東慶寺)

第五世用堂尼 ( ようどうに ) は『過去帳』に「後醍醐天皇姫宮、入当山薙染受具、応永三 ( 1396 ) 丙子年 8月 8日巳刻入寂」とある。


寺記等では、この尼公 ( にこう ) 住持 ( じゅうじ ) 以来「松岡御所」と称し、比丘尼びくに御所同格紫衣寺しえでらなりとある。


寺蔵の北条氏康の書状で十七世旭山尼を指して「御所様」といっている。


江戸時代の文書では寺をさして「松岡御所」とか「鎌倉御所」と書いてある。


本堂に霊牌、木像安置、裏山の岩窟の中に五輪塔の墓がある。


岩窟の前を石柱で囲み石段をつけ、「後醍醐天皇皇女用堂女王墓宮内庁」の石標が建てられたが、中央の公孫樹 ( いちょう ) は本来は天秀尼 ( てんしゅうに ) 墓の前立であり、明治以前は、石段は天秀尼墓前の一基であった。


ちなみに、この石標の女王の文字に、若い人は奇異な目を向ける者があるが、この場合は内親王の宣下のない皇族の女子の意味である。


寺伝では用堂尼は護良親王の菩提を弔うために入寺されたというこうした。


縁で江戸時代に護良親王の土の牢やお墓のある鎌倉二階堂は当山の寺領となり、土の牢や墓、霊牌の安置された理智光寺等も管理した。


現在も獅子舞、五林山などに寺有の山林があるのも、その名残である。


 用堂尼像