酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5667 西郷春女墓(鎌倉市山ノ内1367・東慶寺)

歌人 


三渓原富太郎の息女


● 原富太郎
原 富太郎(はら とみたろう、慶応4年8月23日(1868年10月8日) - 昭和14年(1939年)8月16日)は、実業家、茶人。号は三溪。美濃国厚見郡佐波村(現・岐阜県岐阜市)出身。


略歴
青木久衛の長男として生まれる。生まれは、岐阜市柳津町佐波。小学校卒業後、儒学者の野村藤陰や草場船山に学ぶ。その後上京し、東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務める。1892年、横浜の豪商・原善三郎の孫・原 屋寿(はら やす)と結婚し、原家に入る。横浜市を本拠地とし、絹の貿易により富を築いた。


また富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られていた。


1915年に帝国蚕糸の社長、1920年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)の頭取となる。
1923年の関東大震災後には、横浜市復興会、横浜貿易復興会の会長を務め、私財を投じ復興に尽くした。


美術品の収集家として知られ、小林古径、前田青邨らを援助した。横浜本牧に三溪園を作り、全国の古建築の建物を移築した。三溪園は戦前より一部公開されていたが、戦後原家より横浜市に譲られ、現在は財団法人三溪園保勝会により保存され、一般公開されている。


子に原善一郎、原良三郎らがいる。


参考文献
・竹田道太郎『近代日本画を育てた豪商 原三溪』 有隣堂、1981年
・白崎秀雄『三溪 原富太郎』 新潮社、1988年
・勝浦吉雄『生糸商 原善三郎と富太郎 その生涯と事績』 文化書房博文社、1996年
・藤本実也『原三溪翁伝』三溪園保勝会・横浜市芸術文化振興財団編、思文閣出版、2009年。ISBN 978-4-7842-1476-1


関連項目
・山縣有朋
・益田孝
・團琢磨
・野崎廣太
・松永安左エ門


外部リンク
・中区にある三溪園を造園した原三溪とは、どんな人物?
(wikiより)