酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5666 和辻哲郎墓(鎌倉市山ノ内1367・東慶寺)

和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。


人物
日本的な思想と西洋哲学の融合、あるいは止揚とでもいうべき境地を目指した稀有な哲学者と評価される。


主著の『倫理学』は、近代日本における独創性を備えたもっとも体系的な哲学書のひとつであると言われている。


従弟に京都市長を務めた和辻春樹(船舶工学者)がいる。長女の京子は社会学者の尾高邦雄に嫁し、経済学者の尾高煌之助をもうけた。邦雄の兄尾高朝雄は東京大学法学部を出たあと、和辻在任中の京都大学哲学科で学んでいる。親類に歌手のロミ山田がいる(ロミ山田の実父が和辻と従兄弟)。和辻との共訳書もある林達夫は和辻と相婿の義兄弟である。
姫路市の主催で、和辻哲郎文化賞が、(生誕百年記念し1988年度より)毎年優れた著作に与えられている。


和辻の全蔵書は、1961年に和辻の親友で法政大学教授であった谷川徹三の仲介で法政大学に寄贈された。長らく整理されないでいたが、1985年に法政大学図書館長となった浜田義文が中心となって整理が開始され、1994年に「法政大学和辻哲郎文庫目録」がまとめられた。浜田は「和辻文庫の生命は、和辻の読んだ書物への書き込みにあるといって過言でない」と述べている。


経歴
・1889年 - 兵庫県神崎郡砥堀村(とほりむら)仁豊野(にぶの)(現・姫路市仁豊野)にて誕生。
・1906年 - 旧制姫路中学校(現・姫路西高校)卒業。
・1909年 - 第一高等学校卒業。
 ・同年、後藤末雄、大貫晶川、木村荘太、谷崎潤一郎、芦田均らとともに同人誌、第二次『新思潮』に参加、第一号に載せたのは戯曲「常盤」。以後も、バーナード・ショーの翻訳などをするが、次第に文学から遠ざかる。谷崎の才能に及ばないと感じたからといわれる。
・1912年 - 東京帝国大学文科大学哲学科卒業、同大学院進学。ラファエル・ケーベルを尊敬し、卒論を読んでもらいたいが為に英語で執筆した[1]。
 静かな環境のもとで卒論に取り組むため、藤沢市(当時は高座郡藤沢町)鵠沼にあった後輩高瀬弥一邸の離れを借りて執筆する。卒論完成と同時に高瀬弥一の妹、照に求婚した。
 ・同年、高瀬照と結婚。阿部次郎との親密な交流が始まる、また安倍能成とも終生交流した。
・1913年 - 紹介を得て夏目漱石の漱石山房を訪れるようになる。『ニーチェ研究』を出版。
 ・漱石の『倫敦塔』に強い感銘を受けた和辻は、熱烈な敬慕の情をしたためた手紙を書き送った[2]。
・1915年 - 藤沢町鵠沼の妻・照の実家の離れに1918年まで住む。
 この間、別の離れに安倍能成、阿部次郎も住み、交流。小宮豊隆・森田草平・谷崎潤一郎・芥川龍之介らの来訪を受ける。
・1916年 - 漱石および岳父高瀬三郎の死。この時期、日本文化史に深い関心を寄せ始める。
・1917年 - 奈良を旅行し、古寺を巡る。
・1918年 - 東京市芝区に転居。
・1919年 - 『古寺巡礼』を出版。
・1920年 - 東洋大学講師
・1921年 - 雑誌『思想』の編集に参画を始める。
・1922年 - 法政大学教授
・1925年 - 京都帝国大学助教授。京都市左京区に転居。
・1927年 - ドイツ留学。(~1928年)
・1929年 - 龍谷大学講師兼務。
・1931年 - 京都帝国大学教授[3]。
・1932年 - 大谷大学教授兼務、京都大学より文学博士号取得 「原始仏教の実践哲学」。
・1934年 - 東京帝国大学文学部倫理学講座教授。東京市本郷区に転居。
・1943年 - 宮中にてご進講、講題は「尊皇思想とその伝統」。
・1945年 - 雑誌『世界』の創刊に関わる。
・1949年 - 定年退官。日本学士院会員。
・1950年 - 日本倫理学会を創設し会長に就任(死去まで)。
・1951年 - 『鎖国』で読売文学賞。賞金は倫理学会に寄贈した。
・1953年 - 『日本倫理思想史』で毎日出版文化賞。
・1955年 - 秋に文化勲章受章。
・1958年 - 皇太子妃となる正田美智子のお妃教育の講師を務めた。
・1960年 - 心筋梗塞により死去。墓所は鎌倉市山ノ内の東慶寺。


風土
留学中、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』に示唆を受け、時間ではなく空間的に人間考察をおこなったもの。1931年に刊行。第二次世界大戦後、盛んになった日本文化論の先駆的な作品ともいえる。風土をモンスーン(日本も含む)、砂漠、牧場に分け、それぞれの風土と文化、思想の関連を追究した。『風土』の中に見られる「風土が人間に影響する」という思想は、悪しき環境決定論であるという批判や、天皇制肯定論になっているという批判がある。一方、この風土という考え方こそがグローバリゼーションをとどめるための積極的な方法論である、とする評価(オギュスタン・ベルク)もある。


詳しい事は『和辻哲郎ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%BE%BB%E5%93%B2%E9%83%8E

(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/257.html
253 谷崎 潤一郎墓(豊島区巣鴨1丁目・慈眼寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1289.html
1190 ラファエル・フォン・ケーベル墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1461.html
1347 志賀直哉墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2088.html
1912 中勘助墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


 和辻哲郎