酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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5656 安倍能成墓(鎌倉市山ノ内1367・東慶寺)

安倍 能成(あべ よししげ、1883年(明治16年)12月23日 - 1966年(昭和41年)6月7日)は、日本の哲学者、教育者、政治家。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣を歴任。貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長。学習院院長。


経歴
医師安倍義任、シナの8男として松山城下の小唐人町(後の愛媛県松山市大街道)に生まれた。松山中(後の愛媛県立松山東高等学校)から第一高等学校、東京帝国大学へとすすむ(ただし、家庭の経済事情より中学卒業後1年間、母校の助教諭心得(講師)として英語を教えているため、第一高等学校進学は1902年(明治35年)のことである)。


在学中、夏目漱石や波多野精一、高浜虚子の影響を受けた。同窓生の一人に、藤村操がおり、その妹・恭子と結婚した。また、一高を中途退学した同期の岩波茂雄との交流は終生続き、後年岩波書店経営方針に深く関与し、岩波の没後には、公式伝記も執筆した。


1906年、東京帝国大学1年生時に、友人が夏目漱石の元を訪問するのに同行して以来、漱石を深く尊敬師事し、後年には小宮豊隆・森田草平・阿部次郎(鈴木三重吉とする説もある)と並んで「漱石門下の四天王」と称された。鈴木三重吉や寺田寅彦との出会いも、漱石を通じてのものであった。漱石が修善寺の大患(1910年)に陥った時、安倍たちが駆けつけると、来たからには「あんばいよくなる」と言われたとの挿話があった。


帝国大学在学当時の哲学科同期生には伊藤吉之助、小山鞆絵、宮本和吉らがいた。同学卒業後、自然主義の文芸評論を手がける一方、慶應義塾大学、一高の各講師、法政大学教授を歴任し1924年(大正13年)にはヨーロッパ留学をしている。帰国後、京城帝国大学教授となり、朝鮮の文化を詳細に検討し、日本人の朝鮮蔑視感情を諌めている。1940年(昭和15年)に、母校一高校長となり名校長と謳われた。その一方で軍部が進める高等学校の年限短縮に反対したり、近衛文麿に早期和平の進言をしたために、憲兵隊から監視対象になったとされている。


戦後は、幣原改造内閣で文部大臣に就任。文相退任後も、帝室博物館総長・国立博物館館長を務めるかたわら、教育刷新委員会委員長として学制改革や教育基本法制定など教育制度改革に尽力したほか、国語審議会会長として当用漢字表、現代かなづかいの制定を推進した(なお後に「新仮名としたのは一世一代の過ちであった」と悔恨。国語学者の山田孝雄から「一世一代の過ちですむか」と叱責されたという)。同時期に新制学習院院長となり、没時まで在任した。


また平和運動にも参画し、岩波書店の『世界』創刊期の代表責任者となり、一方で1951年(昭和26年)結成の「平和問題談話会」の発起人にもなった。戦前・戦後を通じて一貫した自由主義者であり、戦前の軍国主義に対する批判のみならず、戦後の社会主義への過大な評価に対しても批判的な態度を取った。


1966年(昭和41年)、御茶ノ水の順天堂医院で没。享年82。戒名「慈仙院学堂能成居士」。墓地は東慶寺(神奈川県鎌倉市山ノ内、北鎌倉駅近く)にある。


係累
実弟の安倍恕(はかる)は裁判官で、司法研修所所長などを歴任。同じく裁判官で弁護士に転じた安倍晴彦は恕の次男。


チャタレイ裁判で被告人のひとりとなった小山書店店主・小山久二郎(おやまひさじろう)も能成の甥にあたる。


略歴
・1902年(明治35年) 旧制第一高等学校入学
・1909年(明治42年) 東京帝国大学文科大学哲学科卒業
・1920年(大正9年) 法政大学教授
・1926年(大正15年) 京城帝国大学教授
・1940年(昭和15年) 旧制第一高等学校校長
・1945年(昭和20年) 貴族院議員(12月)
・1946年(昭和21年) 文部大臣(1月 - 5月)、学習院院長(10月 - 没まで)
・1958年(昭和33年)『岩波茂雄伝』で読売文学賞受賞。
・1966年(昭和41年) 死去。叙正三位、賜銀杯一組


栄典
・1945年(昭和20年)5月17日 - 勲二等瑞宝章[1]
・1964年(昭和39年)11月3日 - 勲一等瑞宝章


著書
・『予の世界』東亜堂書房、1913
・『無用語』日月社、1914
・『西洋古代中世哲学史』岩波書店、1916
・『西洋近世哲学史』岩波書店、1917
・『カントの実践哲学』岩波書店、1924/勁草書房、1949、復刊1979
・『思想と文化』高陽社、1924
・『山中雑記』岩波書店、1924
・『青丘雑記』岩波書店、1932
・『ギリシヤとスカンデイナヰヤ』小山書店、1933
・『静夜集』岩波書店、1934
・『スピノザ 倫理学』大思想文庫:岩波書店、1935、復刊1985
・『草野集』岩波書店、1936
・『孟子・荀子』岩波書店、1937
・『朝暮抄』岩波書店、1938
・『青年と教養』岩波書店、1940
・『時代と文化』岩波書店、1941
・『自然・人間・書物』岩波書店、1942
・『巷塵抄』小山書店、1943
・『西遊抄』小山書店、1944
・『戦中戦後』白日書院、1946
・『槿域抄』斎藤書店、1947
・『一日本人として』白日書院、1948
・『西洋道徳思想史』角川書店、1948
・『能楽雑叢』斎藤書店、1948
・『文化・思想・哲学』勁草書房、1949
・『私の歩み』要書房、1949
・『安倍能成選集』(全5巻)小山書店、1948-49/復刻・日本図書センター、1997
・『平和への念願』岩波書店、1951
・『一リベラリストの言葉』勁草書房、1953
・『岩波茂雄伝』岩波書店、1957、復刊1993ほか、新装版2012
・『戦後の自叙伝』新潮社、1959、再版1966/「人間の記録149」日本図書センター、2003
・『現代知性全集 1 安倍能成集』日本書房、1959
・『人生をどう生きるか』講談社現代新書、1966
・『我が生ひ立ち 自叙伝』岩波書店、1966[2]
・『涓涓集』岩波書店、1968


脚注
1. 『官報』第5654号、「叙任及辞令」1945年11月15日。
2. 1960年前後に、雑誌「心」に連載された。


関連項目
・心 (雑誌)
・ラファエル・フォン・ケーベル
・和辻哲郎
・谷川徹三


外部リンク
・国立国会図書館「日本国憲法の誕生 人物紹介」
・福山誠之館 安倍能成
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/241.html
237 藤村操墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1289.html
1190 ラファエル・フォン・ケーベル墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1461.html
1347 志賀直哉墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3748.html
3481 水野廣徳句碑(松山市末広町・正宗寺)


 安倍能成