酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5642 牧野康済墓(台東区・谷中霊園)

牧野 康済(まきの やすまさ)は、信濃小諸藩の第10代(最後)の藩主。越後長岡藩分家牧野家12代。別名康民。


生涯
天保12年(1841年)1月9日、第9代藩主牧野康哉の次男として生まれる。嘉永7年(1854年)11月21日、父康哉の嫡子となる。安政6年(1859年)12月1日に将軍徳川家茂にお目見え、12月16日に従五位下・周防守に叙位・任官する。文久3年(1863年)3月16日に内膳正に遷任する。そして同年に父が死去したため、家督を継いだ。元治元年(1864年)3月26日に遠江守に遷任する。


弟の信之助(本多忠直)が有能・活発であったため、重臣の一部から廃嫡運動がおきた。
慶応4年(1868年)2月に重臣が、3月に康済が上洛し、朝廷に恭順の姿勢を示す。このように戊辰戦争では最終的に新政府に帰順するが、その後の北越戦争への出兵は拒否し、碓氷峠の守備を務めるにとどまった。これは、小諸藩牧野家の本家である越後長岡藩の牧野家と戦うのを嫌ったためという。


明治2年(1869年)9月、小諸騒動により謹慎処分を受ける。同年12月、版籍奉還で小諸藩知事となる。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で藩知事を免官された。その後、康民と改名する。


明治16年(1883年)1月、隠居し、長男康強に家督を譲った。大正7年(1918年)1月15日に死去した。享年78(ただし、明治15年(1882年)11月25日死亡説もある)。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6490.html

5643 牧野康熙墓(台東区・谷中霊園)


 牧野康済