酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5634 川崎西涯墓(台東区・谷中霊園)

川崎西涯 ( かわさき - さいがい ) / 川崎近義 ( かわさき - ちかよし )
天保 14年 ~ 明治 17年 6月 23日 ( 1843 - 1884 )


東京外国語学校中国語助教諭。


名、近義。幼少、銕之助。号、西涯。


父、農業当右衛門 ( 二男 )。旧水戸藩茨城郡堀村出身。


慶応 3年 ( 1867 ) 初の女性教育者・黒澤止幾 ( くろさわ - とめ ) の孫娘・菅子と結婚。


維新政変の刺激を受け長崎の頴川重寛の門に入り、漢語を学ぶ。


明治 3年 ( 1870 ) 長野県に務めるが直ぐに辞職。外務省漢語学塾佐。


4月文書司等外二等。


7月一等兼漢語塾頭。


文部省等外一等暦十四等十五等出任。


組織変更にともない明治 7年 ( 1874 ) 東京外国語学校に就任。


明治 14年 ( 1881 ) 7月助教諭。42歳没。


著書:「川崎近義 語言自迩集 : 散語問答」、「川崎近義 智環啓蒙 : 詩韻, 資治新書鈔本」。

 張滋昉撰書・篆額の碑がある。