酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5623 藤島正健墓(台東区・谷中霊園)

藤島 正健(ふじしま まさたけ、1845年(弘化2年3月)- 1904年(明治37年)10月15日)は、日本の大蔵官僚。官選県知事。


経歴
熊本藩士・藤島昌和の長男として熊本高田原に生まれる。


明治5年(1872年)、政府に出仕し検事局十等出仕となる。以後、紙幣寮大属九等出仕、紙幣権助、大蔵権少書記官、大蔵少書記官、大蔵権大書記官、兼員外議官補などを歴任。
1884年4月、フランス・パリ在留領事に就任。1886年3月、大蔵省に復帰し大蔵書記官となる。以後、総務局文書課長、銀行局長を務めた。


1888年10月、富山県知事に就任。1890年7月、千葉県知事に転じた。1892年2月の第2回衆議院議員総選挙において選挙干渉を行って死傷者を出した。1893年3月、千葉県知事を退任。1897年6月、日本勧業銀行副総裁となり1900年まで在任。


栄典
・1886年(明治19年)11月30日 - 勲六等単光旭日章[1]
・1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[2]


血縁
・母・藤島茂登子は、矢嶋直明・鶴子夫妻の長女で、妹に横井小楠夫人横井つせ子・徳富一敬夫人徳富久子・竹崎順子・矢嶋楫子がいた。藤島正健と徳富蘇峰は、母方の従兄弟同士であった。酒田正敏・坂野潤治他編『徳富蘇峰関係文書』山川出版社近代日本史料選書7-2、1985年刊には、神奈川県二宮町徳富蘇峰記念館が所蔵する徳富蘇峰宛藤島正健書簡83通が収録されている。


脚注
1. 『官報』第1027号「叙任」1886年12月1日。
2. 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。


参考文献
・上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
・歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
(wikiより)