酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5604 江木鰐水墓(台東区・谷中霊園)

江木鰐水 ( えぎ - がくすい )
文化 7年 12月 22日 ~ 明治 14年 10月 8日 ( 1810 - 1881 )


藩校誠之館教授・医者・福山藩儒官。


名、? ( せん )。字、晋戈。通称、繁太郎。号、健斎・三鹿斎。


豊田郡戸野村 ( 広島県賀茂郡河内町 ) 出身。父、庄屋・福原与曽八 ( 藤右衛門貞章 )( 三男 )。


福山藩医・五十川菽斎 ( いかがわ しゅくさい ) および篠崎小竹に師事。


福山藩医・江木玄朴の家を継ぎ江木を名乗るも、医術を好まず。


文政 8年 ( 1825 ) ころ儒医・野坂完山に師事。


天保元年 ( 1830 ) 京都に出て頼山陽に師事儒学を学ぶ。


山陽没後、天保 4年 ( 1833 )大坂で篠崎小竹に師事儒学を修める。


天保 6年 ( 1835 ) 江戸で古賀イ同庵 ( こがとうあん ) に師事。


また清水赤城に長沼流兵法を学ぶ。


天保 8年 ( 1837 ) 備後福山藩主・阿部正弘に抜擢され藩校の講書となり、のち天保 12年 ( 1841 ) 福山藩儒官となる。


弘化 2年 ( 1845 ) 阿部正弘が老中になると、政治顧問となる。


安政 2年 ( 1855 ) 福山誠之館が創られ兵学を講義。独学で西洋兵学を講義。


弘化 4年 ( 1857 ) 阿部正弘の没後は、阿部正教・阿部正方・阿部正桓の 3代に仕えた。


元治元年 ( 1864 ) と慶応元年 ( 1865 ) の長州征討に出陣し、明治元年 ( 1868 ) の戊辰戦争では箱館戦にも参加、参謀となる。


維新後は福山の治山治水・殖産に尽力する。


明治 10年 ( 1877 ) 一家をあげて東京に移る。72歳没。


碑は三島毅撰文。


著書:「山陽行状」「孫子註」「仰高芳蹟」「客窓漫録」など。子に江木松四郎がいる。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3353.html
3121 江木保男墓(台東区・谷中霊園)


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5605 江木高遠墓(台東区・谷中霊園)


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5606 関ませ子墓(台東区・谷中霊園)