酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5601 宮城浩蔵墓(台東区・谷中霊園)

明治大学創立者


宮城浩蔵先生墓碑


嘉永五年 ( 1852 ) 四月 ~ 明治二十六年 ( 1893 ) 二月


出羽天童藩医・武田直道 ( 玄々 ) の次男に生まれ、慶応元年宮城家の養子となり、藩校養正館の句読師を勤める。


明治三年上京し、箕作塾に入門。


ついで維新政府の貢進生となり、大学南校に学ぶ。


明治五年八月、新設の司法省明法寮生徒となり、ボアソナードにフランス法を学ぶ。


明治九年、選ばれてパリ大学及びリヨン大学に留学し、法律学士の学位を取得。


帰朝後、明治十四年一月、岸本辰雄・矢代 操とともに明治法律学校を創立する。


司法省参事官の傍ら明治法律学校の教頭となり、主に刑法教育を担当し、その学説から東洋のオルトランと称せられた。


明治二十三年七月、山形県第一区より衆議院議員に当選。


民法典論争のさなか明治二十六年死去。行年四十一歳。


宮城浩蔵先生の生誕一五〇年を記念して


二〇〇一年 ( 平成十三 ) 一〇月


明治大学
(案内板より)


● 宮城浩蔵
宮城 浩蔵(みやぎ こうぞう、1852年6月2日(嘉永5年4月15日) - 1893年(明治26年)2月13日)は、日本の刑法学者、政治家。明治大学創設者の一人。衆議院議員。


人物
ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子。ボアソナード起草にかかる旧刑法下で、フランスの刑法理論である新古典派・折衷主義を日本にもたらすことに大きく貢献し、「東洋のオルトラン」と呼ばれた。なお、オルトランはボアソナードの師である。


その後、宮城の刑法理論は、資本主義の発達に伴う累犯の増加に対応できないとして新派刑法理論の立場から批判された。


民法典論争では、梅謙次郎と共に施行断行派に与したが、その最中腸チフスのため42歳で急死した。


山形市の薬師公園に、西園寺公望の題字、中江兆民の撰文による追悼碑が建てられている。


経歴
・1852年 出羽国(現山形県)にて天童藩士の家に生まれる。西洋兵学を学ぶため、上京し、箕作麟祥の共学社に入る。


・1876年貢進生に選ばれ 大学南校を経て、司法省明法寮を第一期生として卒業、その後フランス・パリ大学法科学院、リヨン大学に留学。


・1880年 帰国。司法省参事官。


・1881年 岸本辰雄・矢代操と共に明治法律学校を創設。


・1890年 刑法改正案起草委員を命ぜられる。第1回衆議院議員総選挙に山形1区より立候補し当選。


・1893年 逝去(享年42)。


著書
・『刑法講義』(全2巻、1885年)
・『刑法正義』(1893年)[1]


関連項目
・刑法典論争
・ジョセフ・ルイス・エルザー・オルトラン


外部リンク
1. 刑法正義(下巻)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/618.html
584 岸本辰雄墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2588.html
2353 矢代操墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


 宮城浩蔵