酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5590 梅沢三二墓(台東区・谷中霊園)

梅沢三二 (うめざわ - さんじ)     
天保4年1月20日~明治15年10月26日(1833-1882)


書家・官吏。


名、敬之。字、維思。通称、三二。号、白陽。


父、尊円流の大家・梅沢台陽(長男)。母、太田氏。


代々江戸で教授をする。


武術を神道無念流の斉藤善道に、漢籍を儒者・亀田綾瀬に、蘭書を蘭学者・箕作阮甫に、画を文人画家・椿椿山に師事。


安政6年(1859)に父が没し後を継ぐ。アメリカ艦の来航で騒がしい時期に国事に奔走。大酒飲みでユーモアがあり、徳川慶喜の側近であり父の門人だった川村正平とも親しかった。


文久3年(1863)横浜に赴き外国人の情勢を探ること数ヵ月、また伊豆韮山にて代官・江川英龍と川村正平らと同居。


明治元年(1868)前橋藩徴士のため京に赴き明治3年(1870)に帰る。


明治7年(1874)内務省に出仕し編集を担当。


明治11年(1878)地方官会議院御用掛。


明治12年(1879)沖縄県属官として首里那覇に4年間住む。


明治15年(1882)辞官。同年10月病没。50歳没。


 尊円流(そんえんりゅう): 尊円法親王が起こした書の流派。


 伊藤栄寿書による碑文が裏側にある。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/501.html

487 江川太郎左衛門英龍終焉之地(墨田区亀沢1丁目)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3292.html
3071 亀田綾瀬墓(今戸2-5-4・称福寺)