酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5589 二代目・中川亀三郎墓(台東区・谷中霊園)

二代目・中川亀三郎/中川千治 (なかがわ - せんじ)     
明治2年12月 ~ 昭和3年12月15日 (1869 - 1928)


囲碁棋士。


本名、石井千治。茨城県出身。


「方円社」4代目社長。


明治15年(1882)「方円社」塾生。


明治17年(1884)初段。


明治18年(1885)2段。


明治19年(1886)女流棋士林佐野の養子となり林姓を名乗るが、明治24年(1891)石井姓に復す。


明治34年(1901)6段。


明治36年(1903)亀三郎死去にともない中川家の養子となり、中川千治を名乗る。


明治40年(1907)「方円社」を脱退。
 ・同年田村保寿と第5次十番碁を行い、古島一雄により観戦記が発表された。


明治42年(1909)有志と機関紙「囲碁世界」を発刊。
 ・同年7段となり中川亀三郎を襲名。


大正元年(1912)「方円社」に復帰し4代目社長。


大正9年(1920)社長を辞任。


大正10年(1921)8段。


大正13年(1924)「日本棋院」設立に参画。60歳没。


戒名 : 「覚正院転誉快楽居士」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/414.html

400 頭山満墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6435.html

5588 初代・中川亀三郎墓(台東区・谷中霊園)