酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5579 小川虎之助墓(台東区・谷中霊園)

小川 虎之助(おがわ とらのすけ、1897年12月1日 - 1967年12月29日)は、日本の俳優。本名は小川 寅次。


来歴・人物
1897年(明治30年)12月1日、東京市浅草区蔵前に生まれる[1]。5歳のときに新派の舞台で初舞台を踏み、弟の小太郎と共に新派の名子役といわれる[1][2]。のちに新国劇に入団。沢田正二郎に芸の細かさを認められ、『三等水兵の日記』『髪』などでのコミックな役や、『国定忠次』などの老爺役を得意として大幹部俳優となる[1]。戦後の1946年(昭和21年)に退団して新国民座を主宰するが、経済的事情から解散する[1]。


1951年(昭和26年)、映画俳優に転向し、大映の『万華地獄』に出演して以来、各社の作品に出演。溝口健二や黒澤明作品の脇を固めるなどベテランぶりを発揮し、小太りで白髪頭の老け役として知られた[1]。


1967年(昭和42年)12月29日、糖尿病の悪化で埼玉県浦和市の自宅で死去[3]。70歳没。


「出演作品」については、「小川虎之助ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E8%99%8E%E4%B9%8B%E5%8A%A9


脚注
1. a b c d e 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年、p.121
2. 小川虎之助、新撰 芸能人物事典 明治~平成、コトバンク、2015年7月30日閲覧
3. 『演劇年鑑』、二松堂書店、1968年、p.159


外部リンク
・小川虎之助 - 日本映画データベース
・小川虎之助 - allcinema
・小川虎之助 - KINENOTE
・Toranosuke Ogawa - インターネット・ムービー・データベース(英語)
・小川虎之助 - Movie Walker
・小川虎之助 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇
(wikiより)


 『西鶴一代女』(1952年)左側、隣りの後ろ姿は菅井一郎